The 42 Of Spaghetti

メモを交えて所有物を淡々と記録するログ

ノームコア:7億分の1を自覚するためのファッショントレンド

ファッション界におけるここ最近のバズワード、ノームコア。実態があるようでないその言葉は、乱雑にまとめると普通の格好ということになるようですが、それはシンプルな格好というわけでもないようです。

ノームコアとは

2月終わり頃から言われ始め、3/13にyahoo!のニュースにもなったことでちょっとだけ注目を浴びるノームコア(Normcore)。これは"Normal"と"Hard Core"を足した造語で、「なんの飾り気もない」ーー正確にいえば特にファッションに気を使わない、どこにでもいる格好をするスタイルのことを指して言うといいます。それにしては”究極に普通”って、それアンチファッションのことなのではないか、とも思えますね。

例えばこちらのNormcore: Fashion for Those Who Realize They’re One in 7 Billionというエントリでは、パタゴニアのウィンドブレーカ、ユニクロのチノにクロックスを履いてベースボールキャップを被る感じなどと、具体例を挙げられている。パタゴニアアウトドア用品で高品質のものを出していますので、低品質というわけでもなく、「だれもがもっているもので構成されている服」とということを示しています。

詳しくはNYで流行ってるらしい「Normcore」(究極の普通)とはなんぞ ーー Pebblesさんに綺麗にまとまって記載されているので、こちらを参照いただけるとよくわかります。ここでは簡単にまとめると、要するに

  1. ファッションのトレンドとして、あえて「めちゃめちゃ普通」みたいな服装がトレンドになるかも
  2. この「めちゃめちゃ普通」ファッションは2011年とかにはもう実施しているスタイリストもいた
  3. 例としてはappleの創業者、Steve Jobs*1等が挙げられる。
  4. 元々はK-HOLEというチームが概念を提唱していた。

とするとやっぱりだれもがもってるような服を組み合わせて着る普通でいいんじゃね?ということですが、最後の「元々はK-HOLEというチームが概念を提唱」という部分を追うと、もう少し違う側面も見えてきます。

意識としてのノームコア

K-HOLEのコンセプトのこと。これは先のPabbleさんの記事より引用させてもらういます。

つまり、クールであるために従来のように「difference(違い)」や「authenticity(本物らしさ)」を追求するのではなく、あえて「sameness(同一性)」を選ぶという態度です。

かなりざっくりいうと「おしゃれなやつはみんなおしゃれしてるから普通の格好するかー、逆にこれ新鮮っしょ」ってことになるのでしょう。いつも違うことが価値である(という点がいつも同じなのでつまんない、そんなに違いって大事?)ので、同じことに価値を見い出せば良いじゃないということです。

ファッションとしてのノームコアと、意識としてのノームコア

面倒なことは抜きにして、ファッションとしてノームコアを実践するならば、いま別に汚れても良い服を引っ張り出してきて着ればいいわけです。そうすると、多分自分がいま所属しているところで、一番目立たない格好になると思います。ノームコアは広く普通を目指すというより、単に「普通」なだけなので、大学生とアラフォーの男性では違いますし、大学生で所属サークル、大学などによって大きく異なると思います。そこで一番皆がしているような感じ。印象に残らない残らない感じ。これがポイントでしょう。

一方、意識としてノームコアを実践しようとすると、それ「で」よい、の「で」の価値を高めることにならず、本物らしさの追求になります。それは単にシンプルだたりミニマル/定番であるだけで、例えばカッティンやパターンが凝っている、質が高いなど、本物らしさを追求してしまうことになるわけです。そうではなくて、あくまで周りと溶けこむような、「いつもどういう服を着てるのかなんて気にもしてなかったよ」と言われる位のものにして、服を着ていること自体でなにか価値を生み出さないこと。これはマイナス価値でもダメです。

面白そう?

ここからは感じたことです。

このノームコアを題材にした記事の多くは「ファッション疲れちゃったよね」というようなニュアンスを記事中に入れています。華美なファッションの反動だとか、ライフスタイル自体の変化だとかを中心に上げる人もいますが、PradaのサンダルからTopman*2まで、世間は楽にいこうよ、肩の力抜こうよ的なノリですよね、という。でもこれって本当にちょっとつかれた人にはあんまり歓迎できなさそうです。

というのも、身も蓋もないことをいうと、疲れちゃったよねっていうポーズがトレンドってだけなので、じゃあパタゴニアのフリース着てユニクロのチノパンはいてみたいなスタイルがマジでクールなのかというとそうではなく、結局各ブランドの「そういうスタイルの服」を買って着るのがトレンドになるだけなんでしょう。要するに、シンプルな服を着ること=ノームコアになる。それは元の意味からは離れます。

ということで、ノームコアは別にシンプルテイストとかではなく、その場所・付き合いによって変わるよねという話でした。

「中身化してきてる」(ブランドで身を固めない)という見方もある

ノームコアでよいんだっていう話を別の本から引っ張ってきます。

下記の著者は、ノームコアという言葉が出る前に「今は服もカジュアルだ。SNSで中身が見えるから、みんなそこで自分を出すんだ!」という主張をしていて、タイトル通り「中身化する世界」なのです。

中身化する社会 (星海社新書)

中身化する社会 (星海社新書)

じゃあこっちが良いかと言われると、「SNSで発信する中身が価値を持つ」って、いやあんたそれどんだけ意識高いのよっていう。Facebookで誰得なランチ写真をアップし、義務的に「like!」を押し、面倒で段々ログインしなくなるってよくあるじゃないですか。それ以前に、中身がSNSに反映されうるってのがちょっと楽天的すぎるし。いや、考えは面白いんですけど、そこまで「露出したくない」って人も相当数いるわけで、一部の人には当てはまる考え方ではあるのでしょう。

と突っ込んでみたくはありますが、ファッションは相手への威嚇(特に同性同士の承認欲求への威嚇)に使われることも多いのです。ブランド物ってのはそう使う人が多い。なので、SNSの活動がそうした「威嚇としての意識高さ(よそ行き顔)」を代行してくれるなら、確かにこの威嚇や承認欲求はSNSに移行しても良いわけで、理論的な話としては面白いです。

というわけで、意外と奥の深いノームコア話ですが、気張らないでいるのが良いのだ、という主張、どうでしょうか。

※この記事は2014-12-07に割りと大幅に手を入れました
※2015/01/03 誤字脱字を修正、ちょこっと文末の送りなどを弄った箇所があります。意味は変わってません。

*1:よく知られた話で、彼はいつもイッセイミヤケのタートルにリーバイスのデニム、ニューバランスという組み合わせでした

*2:わりと大衆的なアメリカのアパレルブランド

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